出町 中町四つ角付近の変遷

全般

フクイ紙店がある砺波市本町「中町」の四つ角は江戸時代から交通の要衝でした。

江戸~明治~大正~昭和~平成の地図と比較してみました。
ただ、本町通りは昭和50年前後に区画整理が行われ、町並みが大きく変貌しています。

区画整理前の昭和30~40年代の懐かしい写真を集めておりますので、お持ちの方はぜひ共有させてください。

(掲載する図面や写真はネット・書籍から複製したものが大半ですが、著作権は作成者・権利保有者に帰属しています。権利者の方はご連絡いただけると助かります。)

天保6年(1835年)は江戸末期、土方歳三が生まれた頃です。
現在も続く屋号がありますが、フクイ紙店付近は勘十郎・忠次郎という方の家があったようです。
福居家にあるもっとも古い写真のひとつ。 
額縁の裏に明治40年7月の記載。集合写真に18歳の祖父(2代目)がいると思われます。
フクイ紙店の創業はこの年としました。
写真の「大福帳」とある家がフクイ紙店です。大正時代は、瓦でなく石置きだったそうです。
昭和に入り商店街も活況になりました。商店街双六があったそうです。上りは「稲垣庄助時計店」ですが、現在のどのお店でしょうか?
戦争が終わり再び町が活性化してきました。昭和20年は砺波市となった年です、
昭和の高度成長期になり、通りに車が増えてきました。フクイ紙店も店前に駐車場をつくり改装することにしました。(写真は改装前)
都市計画(区画整理)前の住宅地図です。もう失われた町並みです。
都市計画では道路の新設・拡幅が計画されたため、多くの商店が改築・移転が必要でした。
四つ角付近(中町・南町・新富町)の区画整理が完了した頃です。
平成に入るころまでに、四つ角の東西南北の区画整理は完了しました。しかし、郊外にショッピングセンターが多くでき、道も広くなって、商店街は車が素通りし、売上げ減少という環境になってしまいました。

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