平成レトロ 子供歌舞伎指導 大谷白菊師匠

全般

前回のブログで嵐冠五郎師匠の思い出を記しましたが、その次の師匠は岐阜県各務原市からこられた大谷白菊師匠でした。

当町の中町では平成4年(1992年)の公演から白菊師匠の振り付けですが、出町では前年の東曳山から指導されたようです。経緯としては嵐師匠が高齢で前年の1990年に西町公演を最後に引退され、後任として白羽の矢が刺さり、出町子供歌舞伎曳山振興会の五島会長がお願いに伺ったそうです。

ネットで調べると、白菊師匠(本名:長縄きぬえ)は、夫の大谷右衛門さんと一緒に大谷馬十一座の旅芸人でした。

大谷馬十は江戸時代から続く歌舞伎役者の名跡で、3代目大谷馬十の門流を汲む役者たちが一座を形成し、歌舞伎の本場(江戸や大阪)の芸を地方に伝える役割を果たしました。

大谷右衛門さんは昭和30年に亡くなられ、その後白菊師匠が後をついで、地元の岐阜県の村国座(各務原市)や相生座(瑞浪市)など、地域に根付いた芝居小屋を拠点に活動して、岐阜県はもとより石川県にも巡業・指導していたようです。

白菊師匠は平成10年(1998年)の中町曳山まで出町にこられています。2005年に体調を崩されて引退され、2011年8月に亡くなられたそうです。

岐阜地歌舞伎の名指導者として各務原市に功績の記録があるそうで、所有されていた貴重な衣装が相生座(美濃歌舞伎)に保管されています。

白菊師匠の指導は、女性でありながらも厳しく、時代物の「鎌倉三代記」や「絵本太功記」で演じる役者の見どころをかっこよく、かつ細かな所作で役者をたてていました。

パンフレットにも以下のようにあります。

白菊師匠はほとんど写っていませんが1992年当時の富山TVのニュースの録画あったので抜粋してUPします。

ビデオの最後に運営課題の解説があります。
35年前に転機といわれていますが、今も状況は変わっていないですね、、、、

平成10年(1998年)の家庭用カメラでのビデオがあったのでスナップ部分を抜粋してUPします。
白菊師匠もちょっと写ってます。

コメントお待ちしております。

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