出町子供歌舞伎曳山では役者や浄瑠璃・三味線は地元ですが、振り付けの師匠は外からお招きしています。
正確な記録は出町子供歌舞伎曳山会館にあるはずですが、僕や姉弟が出演したころは、能登(鳥屋町)からこられる嵐冠五郎(あらしかんごろう)師匠でした。
中町では姉が出演した昭和41年(1966年)が師匠の最初の頃で、僕が出演の昭和46年、弟出演の昭和52年も冠五郎師匠です。(アイキャッチの画像が嵐師匠と弟です。)



出町子供歌舞伎では3町が交代で歌舞伎を執行するのですが、嵐冠五郎師匠はピーク時は3町とも担当され、毎年出町に来られていました。
出町での最後の振り付けは今から37年前の平成元年(1989年)で、その時僕は初の後見(黒子)で15年ぶりにお会いしましたが、昔とちっとも変わってなかったような記憶があります。
嵐師匠がどのような経緯で歌舞伎を習い、師匠になったのか直接は聞けていず残念です。
国会図書館で検索しても、わずかに資料がヒットするだけでした。
ただ、この年に地元のとやまTVが嵐師匠を取材し、5月5日に放映がありました。
当時録画したビデオが手元にあり、画質が極めて悪いのですが、貴重な資料なので抜粋して載せておきます。
40年前の稽古風景や若かりし頃の町の方々がでておられます。
どの方も嵐師匠を慕っておられました。
ビデオによれば、嵐師匠(遠藤清一さん・取材時78歳なので明治42年頃の生まれ)は新橋で歌舞伎の仕事をしておられ、結婚後、昭和13年に満州開拓団として中国にいき、戦争で生き別れた娘がおられ、この取材のころに再会できたそうです。
戦争で生きながらえて、子供歌舞伎の指導を「おつりの人生」として生涯をかけられました。
この何年か後に亡くなられたそうです。
「おつりの人生」と謙遜されてますが、地域の貴重な伝統芸能を支えてこられた市井の方の一人ですね。
コメントお待ちしております。

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